それについて書くことがあれば努力クラブについて書くブログです。
しかし、書くことがなければ気分によってのそれなりの記事を書くことになると思います。
よろしくお願いします。
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①めっっちゃ 嫌な夢を見た。
高校の頃に好きだった女の子(に似た子)が出てきたんやけど、その子はもーみんなのことが好きな女の子やったから僕はそれがすごく嫌やった。みんなのことが好きな子やったし、それ故になのか、みんなもその子が好きやったので僕はすげえ嫌やった。夢の中でも相変わらず、女の子はもれなくひとが好きで、ひとのことを肯定しつづけていた。肯定すること大切やけど、それが全肯定に限りなく近いモノやからタチが悪いと思った。嫌だと思った。僕は少なくとも嫌だ。そーゆーひとは好きになったら終わりやなあと思ってしまった。わがままやけどお互いに特別と思い合えないとキツい。うっわ、なに書いてるんやろぉ。きっも。ゲロ吐きそう。あっ、ちょっとホンマに小さいの出そう。
②自分がブスでも、相手がブスでも、リターンがあるなら逢って語り逢えばいいと思う、みたいな考え方について。「ブスでいいやぁ。」と思うこと(自分相手もしくは両方を)について。もしか不細工同士両想いで逢うとしたらある意味リスキーだ。だが生産性はあると思う。なんでかって、リスキーであるが故に燃えるのだ。なにしろ起ってくる愛情に「ともあれ味を見つけていこうよ」という「努力」がプラスされる。「味」というのは「見てくれの悪さ」という大山を乗り越えなければ発見出来ない。その「努力」の果てに「励まし合い」が待っている。なんか「お互い頑張っていこうよ!」「不細工遺伝子にカツ入れようよ!」みたいな。
「ブスでいいやぁ。ねぇいいよねぇ」「うんうん、いぃやぁいぃやぁ」「あ、こりゃこりゃ」「あ、よぃよい」非常に生産的、建設的だ。踊れ、踊り続けよ。同じブスなら踊りゃにゃ損々。
(無農薬亭小山)
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「応える」というアクションが旨く出来ずに、罪悪感を覚えます。
今は昔、ぼくの人生初のコールアンドレスポンスは失敗に終わって、そのことがずーっと爪痕になってるのをこないだ思い出しました。
言ってみれば、
「セィ!ホー!」と団長が言ってくだすったらすぐ叫ぶ。
「飲みに行くか?」と上司が言うたら面倒臭えーなーを隠しながらも速攻イエッサー。
「これは?」と授業で先生に当てられたら「聞いてませんでしたぁ!」と元気良く謝る。
いつまで経っても応えられない。罪の意識みたいなんを言い訳に、ものごとをPOPに持ってく所作に照れて照れて。照れたおして。応えずの はるなつあきふゆ。
あれは三歳でした。ん?だったか?Ⅳ歳だったか、永遠の零歳だったか14歳だったか、はたまたニジュウロクサイだったのか。
思い出せません。
でも
「気持ち悪い」と思ってしまった。ぼくの方へのびてきた大きな手ぇに。なんでだ。なんでのびてきたんだと思ったし。なんでそう思ったんだといま思います。
あの日、あの露店の並ぶ景色の中で、のびてきた大きな手ぇを思いっきり握り返したらよかった。
「応える」はええ加減ちょっとずつ出来るようにしたいですし、します。
しましょう。
気持ち悪いブログだ。すんません。次はふつうに生意気なこと書きたい。
(無農薬亭)
追:努力本公演、みなさまのおかげで無事に終幕しました。本当にありがとうございます~やのに、誰も見ていない此のブログで挨拶というのも、応える、になってないなぁ。むむむ。
少し前の話。
毎公演、演劇関係者を中心多くの人に「公演見に来て下さい〜」とラブレターを送らせてもらってます。(僕ら4人ともラブレター書いたことないのでメールで)
100人を超えるのでお世話になってる方々の名前を、紙にズラ〜っとリストアップして合田くんに見せた。
僕「合田くんがDM送りたい人、名前に○マルしてって」
合田「(書く)」
合田くんはいつも作道くんを一番最初に○する。キュキュって○する。僕はその時「お…」と思っている。別にそれ以上ことば交わさないけど、そう思っている。
(無農薬亭)